ギャンブル人生に明日はない1⃣(残るのは借金と朽ち果てた体だけ)
✿こんにちは、昭 平令(ショーピンレイ)です。
ここでは、自身の経験を踏まえて、ギャンブル(パチンコ、競馬、
カジノなど)について提言、苦言を綴っていきたいと思います。
今、ギャンブル依存症、パチンコ依存症でお悩みの方に、少しでも
お役に立てれば幸いです。✿
ギャンブル人生の始まり
はじめに
初めにお断りしておきます。
私もギャンブルが好きでしたし、今でも時々しています。
そんな私が、ここでギャンブルを批判する資格などないと
おっしゃるのはごもっともです。
ただ、今まで「もうやめよう、もうやめよう。」と繰り返し繰り返し
誓いながら、抜け出せなかった自分の姿をご覧いただいて、同じ
悩みをお持ちの方に少しでも共鳴していただき、
できるだけ早くその暗い状況から立ち直ってもらえればという
思いから、敢えてここでギャンブルについて語っていこうと
決意しました。
またここで、自身の過去をさらけ出すことで、未だ完全に抜けきって
いない自身の病気を完全に治療出来ればとも考えております。
パチンコ依存生活の始まり
私がパチンコに出会ったのは、今から30年以上前、大学の受験
に失敗し、浪人生活を送ることとなってからです。
はじめは実家を離れ、一人でアパート暮らしができる事だけでとても
うきうきした毎日でした。その内予備校が終わって5時頃電車で帰り
アパートでまた勉強するという生活に、段々と退屈さを覚え始めました。
ある日予備校の帰り道、駅前にあるキラキラした電飾と賑やかな音に
惹かれ、フラフラっと入ったのがパチンコ屋でした。
全く知らなかった訳ではないので、時間つぶしにと思い打ち始めました。
するとよくあるビギナーズラックですねぇ、2時間で4千円ほど
勝ちました。
その当時の4千円は浪人にとって大きなお金です。
これはいいもの見つけた!暇つぶしと、一人暮らしの寂しさもまぎら
わせるし、小遣いも増える。
それからは、ほとんど毎日のように予備校帰りにパチンコ屋に寄る
のが日課のようになりました。浪人生で仕送りをしてもらってる
身の上ですから、毎月の小遣いも1~2万円ていどです。
このころはまだ、その小遣いの範囲内で遊んでました。もちろん
いつも勝てるわけありません、月の初め頃になくなれば後は
仕方なくアパートへ帰ってました。
大学生活と言えるか
それから、そんな私でも無事大学へ行ける事となり、いちよう
学園生活の始まりです。しかし大学へ入学することだけが最大の
目標だったため、いざ大学生となっても何もする気が起こり
ませんでした
そこからは、ご想像のとうりパチンコ生活が続くのです。
丁度この頃、「ゼロタイガー」という羽物が出始め、その後
フィーバーの「ブラボー」や一発台に夢中になりました。
こうなると仕送りだけでは到底遊べません。
アルバイトを始めます。昼間はバイト、夕方からはパチンコ
の繰り返しです。学校など行きません。
その内夜勤で警備のアルバイトをするようになり、お昼から
バイト時間までベッタリパチンコをするようになりました。
当初は仕送りやアルバイト代がなくなると、パチンコも我慢
できましたが、その内お金がなくてもどうしても打ちたいと
いう欲求が勝ってしまいます。
そこで選んだ手段が、サラ金です。
学生は保証人が親ですから、比較的簡単に借り入れで来ました。
サラ金業者にすれば取りっぱぐれのない、いいお客さんです。
はじめは、2~3万円程度でしたので、すぐに返せると気楽に
考えていましたが、そのうち金額も大きくなり、複数のサラ金
業者を転々とするようになり、総額100万円くらいの借金に
なりました。
この間パチンコに負けるたびに、もうやめよう、明日から絶対
行かない。と何度繰り返したことか。情けない自分を何度も
何度も責めていました。
いちよう会社員
このままでは、到底生活できなくなると思い、大学を辞め
就職することにしたのです。
当時はバブルの真っただ中で日本全体に景気もよく、私の給料
もそこそこありました。就職してしばらく(半年くらい)は
パチンコと遠ざかることができました。
しかし、仕事にも慣れ、少なくなったサラ金の借金に油断が
芽生えたのです。
会社が終わると再びパチンコに通うようになりました。
さらに悪いことに、会社の付き合いでお酒を飲むことを覚え
フラフラと飲み歩くようになりました。
その時の給料では、パチンコと飲み代をカバーできません。
再びサラ金に走りました。支払いが間に合わない時は何度も
両親に泣きついていました。
そんな生活が長く続くわけがありません。最後には会社を辞め
実家へと変えることとなりました。その時残った借金はすべて
両親に助けてもらいました。
振り返ってもなんて情けない人間なんだと思います。
実家へ送還
実家に帰ってからは、2年程パチンコもお酒も遠ざかっていました。
しかし、少し心にも経済的にも余裕ができると、またまた虫がさわぎ
始めます。
実家に帰る時あれだけ二度とパチンコはしない、両親に迷惑は
掛けたくないと誓ったのに、自分の弱さにはほとほと呆れます。
このころから、パチンコだけでなく競馬にも手を出し始めました。
どちらかといううと競馬の方が面白くなっていました。
と同時にキャバクラ通いを始めたのです。
先が目に見えてますねぇ。
ご想像のとうり程なく家族会議が開かれ、借金はなんとか返済
できたものの、信用も財産もすべて失いました。
それからは、パチンコと飲み屋通いは何とか止めることはできて
おりますが、たまに競馬だけは少しだけやらせてもらってます。
まとめ
振り返ってみて、結局残ったのは、借金と衰えた体だけです。
人生で一番大事な20代30代の時間の大半をパチンコに費やして
いた自分を今から悔やんでもとうてい悔みきれませんが、今
パチンコを打っている若いあなたならまだ間に合います。
私のようにならないでください。お金もですが、失った時間は
もう戻りませんよ。
今回は、私の生い立ちを交えてギャンブルについて語ってみました
が、次回も引き続き恥をさらしながら、ギャンブルを批判的に
語ってまいります。