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ここでは、雑記風に自身の趣味(ギター、ギャンブル、など)ご紹介します。

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ギャンブル人生に明日はない2⃣(残るのは借金と朽ち果てた体だけ)

✿こんにちは、昭 平令(ショーピンレイ)です。

ここでは、自身の経験を踏まえて、ギャンブル(パチンコ、競馬、

カジノなど)について提言、苦言を綴っていきたいと思います。

今、ギャンブル依存症パチンコ依存症でお悩みの方に、少しでも

お役に立てれば幸いです。

 


 

パチンコに熱狂する人々

 
 
 
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#パチンコ#ギャンブル

日比野康則さん(@ribiyekangze)がシェアした投稿 -

 

まえがき

 

前回は、私の恥ずかしい過去を公表してしまいましたが、

今回は、パチンコに熱狂する人々(自身も含めて)について

お話しようと思います。

 

私自身パチンコに狂いながら、毎日のように通っていたにも

かかわらず、パチンコを打ってるお客さんを、ものすごく

軽蔑していました。

 

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ホントに矛盾した話ですが、自分を棚に上げて、毎日毎日

必死で盤面に向かってる人に心の中で、

 

「仕事もろくにせずに、毎日よく来れるなぁ。」

「そこまでしてパチンコ打ちたいのか。」

「毎日お金使って、どうやって生活しているのだろう?」

「若いのに昼間から遊べていいなぁ。」

「主婦の仕事、きちんと務めてるのかなぁ。」

「ろくでもない人間の集まりだなぁ。」

 

といつも、上から目線で他のお客さんをある意味見下して

いたのです。

 

アホですねぇ。

 

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まさに自分が、そのろくでもない人間の一人であるにもかかわらず。

 

他のお客さんと、自分が同類であることを認めたくなかった、

または、そう思われたくなかったのでしょう。

 

あるいは、自分はそうではない、そんな弱い人間ではない、いつか

パチンコから離れて、小金に苦しむような生活から逃れられると

勘違いしていたのかもしれません。

 

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結局、ろくでもない生活をその後も続けていたのです。

取り戻せないお金と、時間を費やしながら。


 

パチンコ店内あるある光景①

 

ある程度店に通ってると、お客さん同士が仲良くなることが有ります。

(私は、こちらから声をかけることなどほとんどありませんし、仲間

とか、友達をこんな所で作る気もなかったので、顔見知りていどの

人はできましたが、仲良しさんはいませんでした。)

 

そんな仲間同士、特におじさんおばさんに多いのが、フィーバーすると

お互いにコーヒーを奢りあうという習慣です。

 

「やっと出たからこれ飲んで。」

「おめでとう。ありがとう。」

 

私にはお互いのキズの舐めあいをしているようにしか思えませんでした。

パチンコというのは、その店の売上の中から、お客同士がお金を取り合う

物だと思っていましたから。

 

他人が儲かったという事は、自分の投資したお金を持っていかれた

と解釈していました。パチンコ屋は必ず儲けてます、売り上げの

20~30%は利益だと思います。残りの70~80%を客が

取り合っているのです。

 

だから他のお客さんと仲良くなんてできませんし、する気もなかった。

コーヒーのやり取りを見るたびに、何がうれしいの?と軽蔑して

いました。


 

パチンコ店内あるある光景②

 

とあるお店では、パチンコは打たずに、床に落ちた玉を拾い続けている

おじさんが居ました。これはれっきとした窃盗罪になりますが、お店も

ある程度黙認していたようです。

 

その拾った玉が20~30発ほどになると、おもむろに羽物台へ座り

打ち始めます。なくなるとまた、拾い始めます。

 

あれでもし出玉が増えたらいい遊びだなぁ、と横目で見ていましたが

店側も余りに目についたので、そのおじさんはとうとう出入り禁止に

なりました。

 

さらにすごいのは、拾い玉を集めて堂々とタバコと交換している

人までいました。

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パチンコ店内あるある光景③

 

昔は、今ほど禁煙にうるさくなくパチンコ屋でもほとんどの人が

くわえタバコで打ってました。ですから店内はそれはもう空気は

悪いし、騒音はひどいし最悪の環境でした。

 

ある時、私がいつものようにくわえタバコで打ってると、隣におばさん

が座ってきて、私の方を見ながら鼻をつまんで、タバコの煙を手で

仰ぎ始めました。

 

タバコが煙たかったのでしょうが、無視して打ち続けていると、また

仰ぎ始めます。「タバコが嫌なら隣に座るな!」と思わず口ばしって

しまいました。

 

図太いおばさんは、移動しようとしません。気分が悪くなった私は、

仕方なく、他の台へ移動しました。そもそもタバコが嫌いなら

パチンコ屋に来るな、と心の中で思ったものです。


 

パチンコ店内あるある光景④

 

またある時は、隣に妙に馴れ馴れしいおばさんが座ってきて、

自分の台そっちのけで私の台ばかりのぞき込んでいます。

リーチがかかる度に注目しています。私は、「うっとおしいなぁ。」

と思いつつ黙って打ち続けていました。

 

しばらくして、これは当たる確率が高いだろうという熱いリーチが

来た時、私もおばさんも息を殺して固唾をのんで見守っています。

最後の瞬間、あと少しというところで外れてしまいました。

 

するとおばさんが

「ああ、惜しかったねぇ、あれは当たらんといかんわねぇ。」

と言います。私は愛想笑いでうなずいていました。

 

本当に惜しいと思ってるのか、当たらなくてホッとしているんじゃ

ないのかと思いつつさらに打ち続けていると、先ほどと同じような

場面が訪れました。

 

私も、さすがに今度は当たるだろうと少し余裕をもっておばさんと

一緒に見守ります。しかし。

 

また外れました。その時またおばさんが、

「ええっ!あれで外れるの!その台おかしいよねぇ。」

 

イライラの頂点に達していた私は思わず、

 

「黙っとれ!」

 

と叫んでしまいました。

 

するとおばさんは、ふくれた様な顔をして自分の台を見つめ

ていましたが、私の台にリーチがかかると顔だけ正面を向いて

目だけで思いっ切りこちらの様子を伺っていました。

 

私はさすがに気まずいのと、うっとおしいのとでその台を離れ

ました。

 

注目しているのは隣の人ばかりではありません。

私の背後にずっと張り付いて眺めている人や、2,3台離れた

斜め後ろからでも、首を長くして様子を伺っている人もいます。

 

その度に私は心の中で、そんなに人の台が気になるのかなぁ、

人の台似てても自分の台が当たる訳でもないのに、といつも

軽蔑していました。

 

パチンコ依存症の人は、とにかく目つきが違います。

自分の事より他人の台が気になって仕方がない、隙あらば

よさそうな台へ変わろうかと、キョロキョロ血走ったような

目をして落ち着きがなくいつも、そわそわしています。


 

パチンコ店内あるある光景⑤

 

ある時、私が負けてお店を出たところ、おじさんとおばさん

3人が大きな声で何やら罵り合っていました。

 

しばらく様子を見ていると、どうやら家族の様で、夫婦二人が

娘(30代に見える)を帰らそうと、手を引っ張っているようです。

両手をつかまれて引っ張られてる娘は、腰を落として必死に抵抗

しています。

 

「もうちょっと、もうちょっとだけ打たせて!」

「もうちょっとで出るのに~。」

 

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しばらく押し問答がつづき、周りに人が集まり始まると、ようやく

娘は両手をつかまれて車へと帰っていきました。

 

どういう事情かは分かりませんが、依存症になるともはや周りが

見えなくなるのでしょう。恥も外聞も目的のためには吹き飛んで

しまいます。

 

私も、ああなんて見苦しいと思いながら、自分がかなり近い状態に

あることを自覚できてないのです。


 

まとめ

 

自分では仕事もしていて、そこそこ分別を持って遊んでいるつもり

でしたが、いつの間にか、生活のサイクルがパチンコ中心に回って

行くようになりました。

 

給料を貰っても、食事代や光熱費、家賃など後回しです。

取り合えずパチンコで稼いで、後で払えばいいと言う都合のいい

甘い考えで生活していました。

 

持ち金が少なくなると、ろくに食事もせず、取り返そうと最後の

100円まで打ち込んでしまいます。それでうまく行ったためしが

ないのに、完全に普通の感覚がマヒしています。

 

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これほどみっともない生活をあなたはまだ続けますか?

 

 

つづく


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギャンブル人生に明日はない1⃣(残るのは借金と朽ち果てた体だけ)

✿こんにちは、昭 平令(ショーピンレイ)です。

ここでは、自身の経験を踏まえて、ギャンブル(パチンコ、競馬、

カジノなど)について提言、苦言を綴っていきたいと思います。

今、ギャンブル依存症パチンコ依存症でお悩みの方に、少しでも

お役に立てれば幸いです。

 

 


ギャンブル人生の始まり

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はじめに

 

初めにお断りしておきます。

 

私もギャンブルが好きでしたし、今でも時々しています。

そんな私が、ここでギャンブルを批判する資格などないと

おっしゃるのはごもっともです。

 

ただ、今まで「もうやめよう、もうやめよう。」と繰り返し繰り返し

誓いながら、抜け出せなかった自分の姿をご覧いただいて、同じ

悩みをお持ちの方に少しでも共鳴していただき、

 

できるだけ早くその暗い状況から立ち直ってもらえればという

思いから、敢えてここでギャンブルについて語っていこうと

決意しました。

 

またここで、自身の過去をさらけ出すことで、未だ完全に抜けきって

いない自身の病気を完全に治療出来ればとも考えております。

 

パチンコ依存生活の始まり

 

私がパチンコに出会ったのは、今から30年以上前、大学の受験

に失敗し、浪人生活を送ることとなってからです。

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はじめは実家を離れ、一人でアパート暮らしができる事だけでとても

うきうきした毎日でした。その内予備校が終わって5時頃電車で帰り

アパートでまた勉強するという生活に、段々と退屈さを覚え始めました。

 

ある日予備校の帰り道、駅前にあるキラキラした電飾と賑やかな音に

惹かれ、フラフラっと入ったのがパチンコ屋でした。

 

全く知らなかった訳ではないので、時間つぶしにと思い打ち始めました。

するとよくあるビギナーズラックですねぇ、2時間で4千円ほど

勝ちました。

 

その当時の4千円は浪人にとって大きなお金です。

これはいいもの見つけた!暇つぶしと、一人暮らしの寂しさもまぎら

わせるし、小遣いも増える。

 

それからは、ほとんど毎日のように予備校帰りにパチンコ屋に寄る

のが日課のようになりました。浪人生で仕送りをしてもらってる

身の上ですから、毎月の小遣いも1~2万円ていどです。

 

このころはまだ、その小遣いの範囲内で遊んでました。もちろん

いつも勝てるわけありません、月の初め頃になくなれば後は

仕方なくアパートへ帰ってました。


 

大学生活と言えるか

 

それから、そんな私でも無事大学へ行ける事となり、いちよう

学園生活の始まりです。しかし大学へ入学することだけが最大の

目標だったため、いざ大学生となっても何もする気が起こり

ませんでした

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そこからは、ご想像のとうりパチンコ生活が続くのです。

丁度この頃、「ゼロタイガー」という羽物が出始め、その後

フィーバーの「ブラボー」や一発台に夢中になりました。

 

こうなると仕送りだけでは到底遊べません。

アルバイトを始めます。昼間はバイト、夕方からはパチンコ

の繰り返しです。学校など行きません。

 

その内夜勤で警備のアルバイトをするようになり、お昼から

バイト時間までベッタリパチンコをするようになりました。

 

当初は仕送りやアルバイト代がなくなると、パチンコも我慢

できましたが、その内お金がなくてもどうしても打ちたいと

いう欲求が勝ってしまいます。

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そこで選んだ手段が、サラ金です。

学生は保証人が親ですから、比較的簡単に借り入れで来ました。

サラ金業者にすれば取りっぱぐれのない、いいお客さんです。

 

はじめは、2~3万円程度でしたので、すぐに返せると気楽に

考えていましたが、そのうち金額も大きくなり、複数のサラ金

業者を転々とするようになり、総額100万円くらいの借金に

なりました。

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この間パチンコに負けるたびに、もうやめよう、明日から絶対

行かない。と何度繰り返したことか。情けない自分を何度も

何度も責めていました。


 

いちよう会社員

 

このままでは、到底生活できなくなると思い、大学を辞め

就職することにしたのです。

 

当時はバブルの真っただ中で日本全体に景気もよく、私の給料

もそこそこありました。就職してしばらく(半年くらい)は

パチンコと遠ざかることができました。

 

しかし、仕事にも慣れ、少なくなったサラ金の借金に油断が

芽生えたのです。

 

会社が終わると再びパチンコに通うようになりました。

さらに悪いことに、会社の付き合いでお酒を飲むことを覚え

フラフラと飲み歩くようになりました。

 

その時の給料では、パチンコと飲み代をカバーできません。

再びサラ金に走りました。支払いが間に合わない時は何度も

両親に泣きついていました。

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そんな生活が長く続くわけがありません。最後には会社を辞め

実家へと変えることとなりました。その時残った借金はすべて

両親に助けてもらいました。

 

振り返ってもなんて情けない人間なんだと思います。


 

実家へ送還

 

実家に帰ってからは、2年程パチンコもお酒も遠ざかっていました。

しかし、少し心にも経済的にも余裕ができると、またまた虫がさわぎ

始めます。

 

実家に帰る時あれだけ二度とパチンコはしない、両親に迷惑は

掛けたくないと誓ったのに、自分の弱さにはほとほと呆れます。

 

このころから、パチンコだけでなく競馬にも手を出し始めました。

どちらかといううと競馬の方が面白くなっていました。

 

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と同時にキャバクラ通いを始めたのです。

 

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先が目に見えてますねぇ。

 

ご想像のとうり程なく家族会議が開かれ、借金はなんとか返済

できたものの、信用も財産もすべて失いました。

 

 

それからは、パチンコと飲み屋通いは何とか止めることはできて

おりますが、たまに競馬だけは少しだけやらせてもらってます。


 

まとめ

 

振り返ってみて、結局残ったのは、借金と衰えた体だけです。

人生で一番大事な20代30代の時間の大半をパチンコに費やして

いた自分を今から悔やんでもとうてい悔みきれませんが、今

パチンコを打っている若いあなたならまだ間に合います。

 

私のようにならないでください。お金もですが、失った時間は

もう戻りませんよ。

 

今回は、私の生い立ちを交えてギャンブルについて語ってみました

が、次回も引き続き恥をさらしながら、ギャンブルを批判的に

語ってまいります。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギター回顧ろっく 4⃣(素晴らしき音楽の世界)

こんにちは、昭 平令です。私のブログに立ち寄って頂き

 ありがとうございます。ここでは、私の音楽(ギター)遍歴

 について、思いつくままに書いていこうと思います。

 かなり古く不正確な情報もあるかも知れませんが、

 その辺はご容赦ください。

 

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ハードロックへ

 

クィーンに没頭していたころ、同時にディープパープルや

レッドシェッペリン、ジェフベックも聞いていましたが、

割合で言うと7対3くらいです。

 

クィーン熱が冷め始めると興味の比重がだんだんコアな

ハードロックへと傾き、バンドよりもギタリストそのもの

に注目し始めました。

 

今回は当時私が憧れてよくコピーしていたギタリストたちを

ご紹介します。

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私ではありませんが近いです。



リッチーブラックモア

 

ディープパープルのリッチーブラックモアはギタリストと

して最初に憧れた一人です。

 

アルバム「マシーンヘッド」はそれこそ全曲まるまるコピー

を目指して、レコードをテープに録音し耳コピしてました。

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マシンヘッド



私のギターはレスポールでしたのでリッチーのクリーンディス

トーションサウンドは出せませんでした。レスポールのギター

マイクはハムバッキングで太い音がでますが、音が歪過ぎる

傾向にありました。

 

リッチーのフェンダーストラトは、シングルマイクでアンプに

マーシャルを使っていたので、クリーンでなおかつ厚みのある

音がしてました。

 

この音に憧れて何とか近づこうといろいろ試しましたが、

当時の私にはギターを買い替える余裕もないし、アンプも

ローランドの安いものだし、エフェクターさえ買えない

貧乏高校生でしたので仕方ないと諦めてました。

 

あっ、そう言えばレスポールにはトレモロアームも付いて

なかったです。ですので、トレモロ奏法の部分はチョーキング

やスライドで胡麻化してました。

 

今でこそ、プロのギタリストが使うエレキギターストラト

タイプが主流となっていますが当時は、レスポールと半々

ぐらいだったと思います。

 

「マシンヘッド」の中では、ブルース色の強い「レイジー

が一番好きでした。リッチーはそれまでのロックギタリストが

ほとんど人差し指、中指、薬指の3本でソロ演奏していた中で

小指を頻繁に使用した最初のギタリストだと思います。

 

「レイジー」のソロの中で特に薬指と小指のトリルがよく

使われてますが、まぁコピーするのに苦労しました。

今でも完璧には弾けませんが。

 

「マシンヘッド」の後に、「インロック」「ファイヤーボール」

などもコピーしてました。「チャイルドインタイム」の後半

の三連ピッキングもなかなかうまく弾けませんでした。


 

ジミーペイジ

 

レッドシェッペリンのジミーペイジもよくコピーしてました。

特にセカンドアルバムはやはり全曲耳コピしてました。

アルバムの中では「胸いっぱいの愛を」と「ハートブレイカー」

が好きでよく弾いてました。

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セカンドアルバム



ジミーペイジはテクニック的には、さほどの評価はされて

なかった(それでも私にとっては十分むずかしたった。)

のですが音遣いのセンスは抜群で、聞かせるソロが多かった

です。

 

チョーキングは普通一音上げるくらいなのに、ジミーは

二音、二音半も上げるのでまともにコピーしてるとよく

弦を切ってしまうので、ビクビクしながら弾いていた

記憶が有ります。

 

サードアルバムで印象に残っているのは「移民の歌」

くらいです。最大のヒットとなった「シェッペリンIV」

では、「ブラックドッグ」や「ロックンロール」をよく

練習してました。

 

後に私もアマチュアバンドを組んで演奏してましたが、

「ブラックドッグ」も「ロックンロール」も出だしの

タイミングがなかなか合わせられず、自分のリズム感

のなさを痛感させられました。

 

シェッペリンは「聖なる館」以降、民族音楽的な色が

濃くなってあまり聞かなくなりました。

ペイジ自身のギターソロを聴かせるような曲が少なく

なり、技術てきにもだんだん落ちてきていたように

感じました。


 

ジェフベック

 

ジェフベックは派手なパフォーマンスもなくどちらかと

言うと、寡黙で見た目地味なギタリストですが、私には、

エレキギター奏者の中でNO1の存在です。

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ストラトキャスター



初めてジェフベックを知ったのは、BBA(ベック、

ボガート&アピス)のライブアルバムでした。

この中の「ジェフスブギー」を聴いたときなんと

カッコイイ音だと感動しました。

 

その後ソロアルバム「ブローバイブロー」を聴きさらに

夢中になりました。このアルバムの収録曲「悲しみの

恋人たち」を聴いたとき、大げさではなく本当になぜか

涙があふれてくるほどの感動を覚えました。

 

ギターでこれほど感情表現できるものなのか?と思うくらい

音が泣いているように聞こえました。

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ブローバイブロー



サンタナの「哀愁のヨーロッパ」やゲイリームーアの「パリの

散歩道」、ロイブキャナンの「メシアが再び」などギターソロ

の名曲はありますが、ジェフの「悲しみの恋人たち」ほど

心に響く演奏はないと思います。

 

もちろん私もコピーに挑戦してましたが、泣きません。

どうしてもベックの域には到達できませんです。

 

1960年代後半から1970年代にかけて、当時3大

ギタリストの一人と言われ、エリッククラプトン、ジミーペイジ

らとともにギター少年の憧れでした。中でもギタリストとしての

技量はベックがピカイチだったと思います。

 

ヤードバーズ脱退後、ジェフベックグループ、BBAなどのバンド

を渡り歩きますが、余り楽曲には恵まれず、クラプトンやペイジ

ほどの名声は得られませんでした。

 

ただ、あのロッド・スチュアートが在籍していた初期のジェフベック

グループのアルバム「トゥルース」に収録されている「アイエント

スーパーステーション」は今聞いてもぞくぞくするような名曲

だと思います。

 

ロッドのヴォーカルもさることながら、それに絡むベックのワウワウ

を駆使した語り掛けるようなギターにはしびれました。

 

ソロになり「ブローバイブロー」「ワイヤード」などの名作を

発表し続け、最近では「ナディア」というインド音楽の要素を

取り入れた名曲を聴かせてくれました。

 

ここ数年はギターをピックでなく指で弾くことが多くなり、

トレモロアームも多用してベック独特の音を作り上げています。

この頃は、ギターのコピーを諦めて、聞くだけになって

しまいました

 

御年75歳になった今でも、現役でライブ活動も行っている姿を

見ると、自分の年を再認識させられるとともにこれからも

私の中の神様であり続けてほしいと願うばかりです。


 

ジミヘンドリックス

 

ベックらの数年後に現れたギターヒーロージミヘンドリックス

です。

 

私の中では、ジミヘンは見せる(魅せる)ことに成功した

ギタリストという印象が強いです。もちろんブルースやジャズに

裏打ちされた彼独特のテクニックは素晴らしいと思いますが、

 

とにかく大音量でフィードバックをガンガン効かせて、エフェクター

フランジャーやワウワウ)を巧みに操り、派手な衣装を着飾り、

ギターを破壊したり、燃やしたりするステージパフォーマンスで

一気にファンを虜にしてました。

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もちろん「ワイルドシング」や「紫の煙」「ヴードゥーチャイルド」

なども良く聞き、ギターもコピーしてましたが好きだったのは、

「風の中のマリー」、「リトルウイング」「レッドハウス」

「ハウスバーニングダウン」などでした。

 

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最高傑作「エレクトリックレディーランド」

ソロの指使いも良かったけど、カッティングがとてもカッコよかった。

 

たまに歯で弾く真似もしましたが、本当に気持ち悪くなり

すぐ止めました。(笑)

 

 

私がよくコピーしていたギタリストの紹介はまだまだ続きますが

今回はこのへんで。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギター回顧ろっく3⃣ (素晴らしい音楽の世界)

こんにちは、昭 平令です。私のブログに立ち寄って頂き

 ありがとうございます。ここでは、私の音楽(ギター)遍歴

 について思いつくままに書いていこうと思います。

 

 アコースティックギターに関しては、結構掘り下げた内容に

 なっていると思います。少しでも共鳴していただける方が

 いらっしゃいましたら幸いです。

 


 

Queenを語る ②

 

「シアーハートアタック」

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シアーハートアタック



デビュー以来初のシングルヒット曲「キラークィーン」を

収録したこのアルバムは、三作目となります。

 

アルバム全体の印象は、前作のテーマに沿った構成から、

バラエティーに富んだ選曲となっています。

 

A面一曲目は、ブライアンのハードなロック曲「ブライトン・

ロック」です。パレードを思わせるような出だしにブライアンの

三味線ギターが重なりフレディのファルセットボイスが聞こえて

きます。

 

この曲のギターソロ部分は、コンサートのブライアンのソロ

パートとしてしばらくよく使われていました。ギターにディレイ

エコーを効かせ、音を重ねていく手法はブライアンの十八番です。

 

二曲目はフレディのバロック調のロック「キラークィーン

その後東洋的なギターソロが印象的な「フリックオブザリスト」

 

(ブライアンはセカンドアルバムの「アズイットビガン」でも

ギターソロでシタールのような音を聞かせていますから、かなり

インド音楽にも影響されていたのでしょう。)

 

前期の中ヒット曲「ナウアイムヒア」へと続き

B面は神秘的な曲「神々の業」で始まり、その後メタルバンド

にもよくカヴァーされた「ストーンコールドクレイジー

が収録されてます。

 

このアルバムから、徐々にイギリスでも評価され始めました。

そして、最大のヒットアルバム「オペラ座の夜」へと続きます。

 

オペラ座の夜」

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オペラ座の夜



言わずと知れた名曲「ボヘミアンラプソディー」を含むQueen

の代表アルバム「オペラ座の夜」は前作の方向性を踏襲しながら

より洗練されたものになっています。

 

A面一曲目はこのアルバムで私のベスト曲「デスオントゥレッグス」

です。曲の盛り上げ方、コーラスのからめ方が絶妙です。何度

聞いても興奮します。

 

「シーサイドランデブー」はフレディの好きなライザミネリを

意識したかのような明るい曲です。

 

B面はブライアンの大作「預言者の歌」で始まります。

ところどころ琴を使った伴奏をはさみ、日本のファンを意識して

いるようです。

 

(ブライアンは敬虔なクリスチャンなのでしょう、彼の作曲には

その真面目さや、実直さが随所に見て取れます。)

 

この曲の中盤でフレディのソロボーカルパートがありますが、

ブライアンのギターエフェクトであるディレイエコーを使って

三重唱の様に聞かせてます。コンサートでもよくやってました。

 

後は、もう語りつくされた名曲「ボヘミアンラプソディー」

私は、高校の音楽の時間に、教室で先生にこのレコードをかけて

もらい「バッハのようだ。」と感心されたのを今でも覚えてます。

 

今思うとこの「オペラ座の夜」がQueenの全盛期だったのかな。

その後もアメリカではヒット曲を連発しますが、個人的にはこの頃

が楽曲においても、バンドとしても頂点だったような気がします。

 

 

「華麗なるレース」から「インニュエンド」まで

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華麗なるレース



五作目は前作の柳の下のどじょう的なアルバム「華麗なるレース」

です。「タイユアマザーダウン」「サンバディートゥラブ」などの

ヒット曲がありますが、新鮮味には欠けてます。

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世界に捧ぐ



六作目は「世界に捧ぐ」です。これは敢えて言わせてもらえば、

ロジャーの知り合いが描いたアルバムジャケットの絵が超ダサい。

ロジャーファンの人ごめんなさい。

 

収録曲は、クィーン最大のヒットシングル「ウィーウィルロック

ユー」「伝説のチャンピオン」、神秘的な「ゲットダウンメイク

ラブ」などがありますが、アルバム全体としては、パワー不足

のような印象です。

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JAZZ

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ザ・ゲーム

 

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ライブアルバム





七作目は「JAZZ」です。一曲目でいきなりフレディ色全開

の「ムスタァファ」が始まります。この曲はクィーンのすべての

楽曲の中でも私のベスト3に入るほど好きな曲です。

 

この曲を聴いて、クィーンの前々作から残っていたバンドの

方向性が定まらないようなもやもやが、吹っ切れたように

感じました。

 

「バイシクルレース」や「ドントストップミーナウ」のヒット曲

が生まれました。

 

八作目は「ザ・ゲーム」です。このアルバムの中にはロカビリー調

の「愛という名の欲望」やディーコン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」

などがあります。

 

実はこの頃から、私のクィーンに対する興味が薄れ始め、アルバム

「ホットスペース」「ザ・ワークス」「ザ・ミラクル」は買い

ませんでした。最後に買ったのが「イニュエンドウ」です。

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ホットスペース

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ワークス

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カインドオブマジック



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ラク




もちろん、「アンダープレッシャー」「ラディオ・ガ・ガ」などは

聞いてましたし、「ワンビジョン」も好きでしたが、映画「フラッシュ

ゴードン」の音楽を担当したあたりから、少し商業志向が強まり、

アメリカ市場を意識し過ぎた感じがあまり好きではなかったです。

 

しかし、あの「フラッシュゴードン」という映画、ご覧に

なりましたか?B級過ぎて見ていられなかった。

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フラッシュゴードン サントラ



映画「ハイランダー」でも「プリンシスオブザユニバース」や「リブ

フォーエバー」などの曲を提供していますが、こちらは映画も

面白かったです。

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イニュエンドウ



最後に買った「イニュエンドウ」を聴いたとき、私のクィーンに

対する情熱はほとんど覚めていました。

 

クィーンは終わらない

 

バンドも年を重ね、フレディもエイズを発症し少なからず曲にも

元気のなさ、新鮮さがなくなっていたのだと思います。

 

それに加えて、あまりにも、フレディの趣向を出し過ぎて本来

のロックの範疇を逸脱してしまったのではないかと思います。

まあそれと共に私も年を取ったんですけど。

 

しかし、数々の名曲、アルバムを残し私の若かりし頃をともに

過ごした思い出はいつまでたっても消えることはありませんし、

今後これ以上夢中にさせられるバンドも現れないでしょう。

 

今、映画「ボヘミアンラプソディー」」がヒットし再びクィーンが

脚光を浴びているのは古い一ファンにとってもとても誇らしく

嬉しいことです。

 

私にとってその存在は決して忘れることはありませんし、昔からの

ファンや新たなファンの人にも忘れられない存在で有り続けて

もらいたいです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギター回顧ろっく2⃣(素晴らしい音楽の世界)

『こんにちは、昭 平令です。私のブログに立ち寄って下さり

 ありがとうございます。ここでは、私の音楽(ギター)遍歴

 について、思いつくままに、書いていこうと思います。

 

 アコギに関しては、結構掘り下げた内容になってると思い

 ます。少しでも共鳴していただける方がいらっしゃれば幸いです。』

 


Queenを語る

 

しばらくは、伝説のロックバンドQueenについてデビューから現在に

至るまでを記憶する限り、愛情を込めてご紹介していきます。

 

 (小見出しタイトルをクリックすると記事へジャンプします。)


 

デビュー当初

 

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初期の頃

 

高校一年でQueenに出会った私は、すぐに夢中になりました。

レコードは毎日擦り切れるほど聞き、そのころ数少ない洋楽の月刊誌

「ミュージック・ライフ」も定期購読し始めました。

 

「ミュージックライフ」

 

同時期に、「ロックキンオン」と言う雑誌もありました。

こちらは記事内容がどちらかと言うと硬派で、写真も少なくコアな

ロックファンに読ませる雑誌でした。

 

対して「ミュージック・ライフ」は、写真も多くどちらかというと

アイドルファン向けに見せる雑誌でした。私もミーハーだったので

こればっかり読んでました。

 

Queenの写真が掲載されると気に入ったのを切り取ってはアルバムに

貼り付けていたのを覚えてます。

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ミュージックライフ

 

最近映画「ボヘミアンラプソディー」で再びQueenが話題になり

新たにファンが増えたのは、私としても喜ばしいことです。

 

おじさんQueenしか知らない今のファンには、想像もつかないでしょうが

当時の日本でのファンの熱狂ぶりは本当にすごかったです。

どちらかと言うと、そのルックスからアイドル的な存在でした。

 

1970年代初め頃に、流行していたグラムロックの流れを受け継いだ

ビジュアル系バンドであるかのような扱いでした。

 

グラムロック

 

グラムロックとは、前回も記事上で書いてますが、TREXSLADE

デヴィッド・ボウイアリス・クーパーSWEET、後のANGEL

KISSなどに代表されるような、派手派手メイクを施したビジュアル

重視のロックバンドたちの事です。

 

ミーハーだった私も良く聞いました。でも今聞いてもノリノリで

明るくて、覚えやすいメロディーラインは結構気に入ってます。

 

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スレイド

 

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アリス・クーパー

Queenもセカンド、サードアルバムのころは、ステージでもフレディや

ブライアン・メイが派手目の衣装で演奏してましたし、アルバムジャケット

もフレディの中性的な美的感覚が前面に出ているような写真が目立ちました。

 

ですから日本の女性ファンは、楽曲よりもどちらかと言うと、その

ルックスに飛びついたのだと思います。特にロジャー・テイラー

可愛くて女性には一番人気でした。

 

フレディも(今では想像できないけど)化粧して着飾ってキレイでした。

ジョン・ディーコンでさえも、髪をクルクルして化粧してアイドルっ

ぽい感じでしたよ。

 

当時のレコードレーベルもそういう売り込み方をしてたのでしょう。

でもデビュー当初は、本国イギリスや、アメリカでは音楽的な面でも

あまり受け入れられていなかった。

 

あるイギリスの音楽雑誌には、「めちゃテクのガキバンド」と書かれ

たり、少し先輩のロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーには

「しょんべん桶」(よく意味が解らないけど)とか結構酷評されてました。

 

Queenの人気は、日本において特に女性の間では異常なくらいありました。

少し後のベイシティローラーズに近い存在かなぁ。まあいわゆるアイドル

ですねぇ。

 

初来日した時のファンの熱狂ぶりはホントにすごかったです。

ビートルズ並みだったんじゃないかな?

 

断っておきますけど、私はアイドルを否定するつもりはないですが、

Queenについては、ファーストアルバムから聞いておりその楽曲に

ほれ込んだんですよ。

 


 

ファーストアルバムから

 

Queenのデビューアルバムは「QueenI」でした。

ジャケットにはフレディが半分にしたマイクスタンドを掲げた

イラストが使われています。

 

マイクパフォーマンス

 

ステージでは有名なマイクパフォーマンスもフレディが始めたものだと

記憶してます。以前ロッド・スチュアートなどもマイクスタンドをクルクル振り回していましたが、少し違うんです。

 

フレディはマイクスタンドの上半分を引っこ抜いて、先端には

白いテープを巻きつけて、剣かバトンのように扱っていました。

 

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こんな感じ

 

このアルバムの中には、デビューシングル「キープユアセルフアライブ」

をはじめ、私が感動した「サンアンドドーター」、名曲「ライアー」

などが含まれています。

 

この「ライアー」はフレディの作品で曲の展開、構成などは後の

ボヘミアンラプソディー」の原型になったんじゃないかと思います。

 

Queenの特徴的なハーモニーは若干控えめで、ハードロック寄り

のアルバムでした。

 

 

期待の新人

 

この頃本国イギリスの音楽雑誌で発表れた、期待の新人ベスト10

のなかでQueenは第三位でした。

 

ちなみに、一位はレオ・セイヤー、二位はナザレスと言うバンドでした。

レオ・セイヤーはソロシンガーで「ショーマストゴーオン」など数々の

ヒット曲をだしましたが、現在は音沙汰ないです。

 

ナザレスは、私も少し興味があり聞きましたが、ゴリゴリの単調な

ロックバンドでそれほどヒットすることもなく消えてます。

 

この事から、古今東西評論家と言うのは当てにならないもので

レーベルやプロダクションの力関係や圧力もあるでしょうが、

結局その時の時流に合わせた自身に都合のいい評価しかできない

ものだと悟りました。

 

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当時のナザレス

 

 

「QuenII」

 

その次にリリースされたのが、「QueenII」です。

 

これも発売と同時に買い求めました。ファーストより一層ハードな

面を押し出した感じで、私の中ではベスト1のアルバムです。

 

A面はホワイトクィーン、B面はブラッククイーンという構成で

ブライアンの作品中心、フレディの作品中心にと分かれてました。

 

レコードに針を落とすと、心拍音がだんだん強くなり、ブライアン

の和音を巧みに操った多重録音によるクラシカルなギター演奏から

始まります。

 

このアルバムのA面の前奏曲「プロセッション」です。

ここですでに感動して打ちのめされた感が有りました。

 

代表曲は「ファザートゥサン」、「オーガバトル」(テープを逆回転

させて徐々に大きくなっていき、その内正回転の音と巧みに融合させる

曲の冒頭部分は圧巻ですよ。コーラスも素晴らしい!)

 

「マーチオブブラッククイーン」、「輝く七つの海」などです。

また、この中に「ルーザーインジエンド」というロジャーの曲

がありますが、とてもヘビーで彼の楽曲のなかでは、私のベスト1です。

 

ジャケット写真はその後、Queenの代名詞となるような出来栄えで

ボヘミアンラプソディー」のPVにも使われています。

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QueenII

 

シングルカットされた「輝く七つの海」はコンサートでもよく

演奏され、曲の後半からジョンのベースソロ、その後ブライアンの

ギターソロと言う展開で使われていました。

 

時期的には私が高校年くらいで、来日コンサートを初めて姫路

まで見に行きました。ステージではフレディーが白いカーテンの

ようなものを着て、ブライアンも両袖に大きなヒラヒラを付けて

ました。

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こんな感じの衣装

 

実際に生演奏に触れたのはこの時が初めてです。

レコードで聞くのと少し違うなぁと、すこしガッカリしましたが

興奮状態の私にとって、生で動いている四人を間近で見られた

だけで幸せでした。

 

その後来日する度に、山口、大阪、などを追いかけまわしてました。

山口のコンサートでは、前列10番目くらいの席で、フレディの投げた

タンバリンが丁度私の頭上に飛んできて、必死で捕まえたのを

覚えてます。

 

あのタンバリンはどこへ行ったのかなぁ。

 

 

 

 

つづく


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